経験や学習に価値を見出す社会を空想する
モノやサービスを消費するだけでなく、これから自分でモノやサービスを作り出す事に楽しみを覚える社会になるんじゃないかと空想している。
どれくらいの人が興味あるんだろう。
おそらくかなり少ない。
自給自足とかアウトドアとかスポーツとか電子工作とかプログラミングとか料理とかコーヒー自分で淹れるとか、実際経験しないと楽しさなんてわからない。
そして、その楽しさをちゃんと伝えられる人も必要不可欠。
楽しいと感じるのは成功体験を得た時。適切に成功体験を積ませる。
もしくは手軽に成功体験を感じられるプログラムやチュートリアルの整備がいる。
ゲーミフィケーションのデータとかが参考になるかも。人間のドーパミンが出るときは、どんな時かを調べておく。
学習のドライブ、内発的動機づけを適切にデザイン出来るかどうかが大事。
成功したとき褒める、簡単なことから徐々に難しいことへ、継続させる、Anybody can learn | Code.orgはその辺をうまくおさえてる。
古代ギリシャでは、限られた知識人しか勉強することが出来なかったという。そもそも書物が限られていたから当然なんだけど。
勉強が娯楽だったと思う。
studyの語源はラテン語のstudious。「何かに没頭する」という意味。
その状態に、現代の学習はなっているか。そうではないと思う。
ちゃんと没頭できる楽しさを知り、教えられる人を増やしていかないといけないなと思う。
没頭をテーマに教育プログラム組む。